古楽器の意味について 1985.08.31 音楽評論・原稿 古楽器の意味について 初めてヴィオラ・ダ・ガンバの生の演奏を聞いたのは”マタイ受難曲”(それもこの時初めて全 曲を聴いたのだが)の中のバスのアリアのオブリガートで出て来たときだった。この時の記憶 が実はあまりはっきりしていない。むしろぴんとこなかったと言うほうが正しい言い方だろ う。 古めかしい、特徴... 詳しくはこちら
I.ベルイマン『秋のソナタ』 1981.10.26 映画古い覚書 I.ベルイマン『秋のソナタ』 1981年10月26日 日常性の中にあるドラマではなく、日常性という場を劇的空間としての極限にまで引き上げた映画である。 映画はベルイマンにとって必ずしも純粋に映画である必要はない。演劇的な語り口はかなり明瞭で、プロットの進行は戯曲をそのまま映画にしたよ... 詳しくはこちら
現代作曲家の夕べ 1981.08.17 音楽古い覚書 現代作曲家の夕べ 1981年8月17日 結局の所表現の問題に戻ってくる。何をどのように表現するか(したいか)。 本当に作曲したいのか、又曲を書き人に聞かせるということは如何なることなのか。 始めの地点から私は進んで行こうどんなに孤立しようとも、私にとって問題は、他者に対して感じたよう... 詳しくはこちら
F.フェリーニ『道化師』『オーケストラ・リハーサル』 1981.06.12 映画古い覚書 F.フェリーニ『道化師』『オーケストラ・リハーサル』 1981年6月12日 『道化師』 サーカスの人を引きつける力、あらゆる事柄のモデル。「見世物」とは日常生活の中の典型を観せることなのかもしれない。モデルは身近にある。といっても何を、どのようにしてモデルとしてとり出すか、その方法... 詳しくはこちら
ロマン・ポランスキー、ナスターシャ・キンスキー『テス』 1981.05.29 映画古い覚書 ロマン・ポランスキー、ナスターシャ・キンスキー『テス』 1981年5月29日 都市のような人工的な環境の中でのみ暮らすものにとって、自分の周囲が人間の尺度によってわい少化された箱庭の世界であるということに気付くことはない。T. ハーディーの原作がどうであれ、ポランスキーの『テス』では風景が映像の中で... 詳しくはこちら
湯浅譲二 : SCENES from Basho-第7回民音現代作曲音楽祭- 1981.05.10 音楽古い覚書 湯浅譲二: SCENES from Basho-第7回民音現代作曲音楽祭- 1981年5月10日 三つの楽章からなる、ほぼ二管編成のOrch。どのOrch作品も結局は同じような響きになってしまうというのはその編成による。作曲家は増やすことよりも、むしろ削り取ることに勇気を持たなければならない。0(ゼ... 詳しくはこちら
菅原明朗-日本の交響作品展5- 1981.04.05 音楽古い覚書 菅原明朗-日本の交響作品展5- 1981年4月5日 1939年から1981年(81才)迄の作品を聞きプログラム中の文章を読む。81才になっても衰えない創作力(生産力)を支えているものは、むしろ冗舌とも思える程の旋律の動きに自分をまかせていく、その姿勢にあるだろう。しかし、管弦楽を統御する技術は古... 詳しくはこちら
「倒錯の森」について 1975.10.14 評論・原稿文学 「倒錯の森」について 庄司薫+植草甚一的な文体で一つの小説の書評を書いてみようという実験をしてみました。果 たしてそれが成功しているかどうかは読者の判断に任せたいと思います。 なおこのような事を試みて見ようと思った理由の一つに庄司薫の作品に対するサリンジャーの 影響(ことに「赤頭巾ちゃん気をつけて」に... 詳しくはこちら
小津安二郎に関するrandamな十一章 …「彼岸花」を中心とした… 1975.05.29 評論・原稿映画 小津安二郎に関するrandamな十一章 …「彼岸花」を中心とした… 1. 小津安二郎の映画は儀式(結婚、あるいは死)を起点として展開していく。結婚(あるい は死)が人の一生の中での最大のドラマであるとすれば、彼の映画程ドラマティックな映 画は無いかもしれない。だが実際には人の一生、またその日常生活の中で行わ... 詳しくはこちら