『アルヴォ・ペルト自選プログラム・コンサート』 1991.04.27 音楽古い覚書 『アルヴォ・ペルト自選プログラム・コンサート』 1991年4月27日 26日、東京芸術劇場大ホールで『アルヴォ・ペルト自選プログラム・コンサート』を聞く。かなり思い入れ過多の感じがしたが、全体として演奏は良かった。驚いたのは1968年の『クレド』そう思って聞けば、今のペルトの音楽を彷彿とさせる所はあ... 詳しくはこちら
マーラー:第6交響曲 クロノスカルテット 1989.01.26 音楽古い覚書 マーラー:第6交響曲-マーラー・シリーズ(若杉・都響)於サントリー・ホール- 1989年1月26日 良い演奏だった。でもマーラーの第6交響曲のようなエモーションの固まりのような曲は単なる「良い演奏」だけでは本当の満足は与えられない。マーラーの音楽はオーケストラに全力で立ち向かわせる事を要求する。コン... 詳しくはこちら
『アリア』 於・シネマライズ渋谷 1988.01.05 音楽映画古い覚書 『アリア』 於・シネマライズ渋谷 1988年1月5日(火曜日) プロデューサーのJ.ボイドが十人の監督に依頼して制作したオムニバス映画。実質的には九つのアリアに基づいた短編とそれを繋いでゆく狂言廻しとしての道化師(ジョン・ハート)の部分で構成される。『アリア』を一つのまとまった映画と... 詳しくはこちら
『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』 1986.04.12 音楽映画古い覚書 『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』 1986年4月12日 ナレイションと音楽にドラマの進行を殆ど委ねている割には、音響が良くない、A.V. のAの方が余り良くなかった。多分、劇場のPAの貧弱さも有るのだろう。そのために例えば「マタイ」の冒頭の二重合唱を全曲聞く所では、かなり忍耐が... 詳しくはこちら
ローリー・アンダーソン“ナチュラル・ヒストリー” 1986.04.12 音楽古い覚書 ローリー・アンダーソン“ナチュラル・ヒストリー” 1986年4月12日 初めてこういうコンサートに行ってみたが、色々な意味で考えさせられる物だった。期待していた程、面白くは無かったが、所謂クラシックの演奏会に比べれば、ずっと面白いし(現代音楽の会等は問題外)全てがP.A されていると言うことが逆に非... 詳しくはこちら
古楽器の意味について 1985.08.31 音楽評論・原稿 古楽器の意味について 初めてヴィオラ・ダ・ガンバの生の演奏を聞いたのは”マタイ受難曲”(それもこの時初めて全 曲を聴いたのだが)の中のバスのアリアのオブリガートで出て来たときだった。この時の記憶 が実はあまりはっきりしていない。むしろぴんとこなかったと言うほうが正しい言い方だろ う。 古めかしい、特徴... 詳しくはこちら
現代作曲家の夕べ 1981.08.17 音楽古い覚書 現代作曲家の夕べ 1981年8月17日 結局の所表現の問題に戻ってくる。何をどのように表現するか(したいか)。 本当に作曲したいのか、又曲を書き人に聞かせるということは如何なることなのか。 始めの地点から私は進んで行こうどんなに孤立しようとも、私にとって問題は、他者に対して感じたよう... 詳しくはこちら
湯浅譲二 : SCENES from Basho-第7回民音現代作曲音楽祭- 1981.05.10 音楽古い覚書 湯浅譲二: SCENES from Basho-第7回民音現代作曲音楽祭- 1981年5月10日 三つの楽章からなる、ほぼ二管編成のOrch。どのOrch作品も結局は同じような響きになってしまうというのはその編成による。作曲家は増やすことよりも、むしろ削り取ることに勇気を持たなければならない。0(ゼ... 詳しくはこちら
菅原明朗-日本の交響作品展5- 1981.04.05 音楽古い覚書 菅原明朗-日本の交響作品展5- 1981年4月5日 1939年から1981年(81才)迄の作品を聞きプログラム中の文章を読む。81才になっても衰えない創作力(生産力)を支えているものは、むしろ冗舌とも思える程の旋律の動きに自分をまかせていく、その姿勢にあるだろう。しかし、管弦楽を統御する技術は古... 詳しくはこちら