エッセー 1999.05.01 音楽評論・原稿 エッセー 音(音楽)は、その瞬間々々に現われては消えていってしまうために、それをイメージの中で再構築するためには、言葉が必要になってくる。そして奇妙なことに、僕達は音を直接表現する言葉を持っていない。多分そのような言葉があったとしても、極めて僅かなものにしか過ぎないし、その時に語られる言葉の大部分は視... 詳しくはこちら
コストロマ市での国際現代音楽祭 新聞評付き 1994.07.22 音楽評論・原稿紀行文 コストロマ市での国際現代音楽祭 1994.7.22 今年の5月30日から6月4日までの六日間、モスクワ近郊のコストロマ市で国際現代音楽祭が開 催された。コストロマは、モスクワの北東に位置するいわゆる「黄金の環」と呼ばれている地 域の都市で、その中でも特に歴史の古い町の一つである。 参... 詳しくはこちら
コストラマの国際現代音楽祭 1994.06.29 音楽評論・原稿紀行文 コストラマの国際現代音楽祭 1994.6.29 モスクワの北から東へ、美しい寺院が並ぶ町が、ほぼ円形に点在している。12~18世紀のロシ ア正教会の建造物が多く、丸屋根が黄金色に輝いているため、俗に「黄金の環」と呼ばれ、ロ シアの人々の心の故郷でもある。 コストラマ... 詳しくはこちら
古楽器の意味について 1985.08.31 音楽評論・原稿 古楽器の意味について 初めてヴィオラ・ダ・ガンバの生の演奏を聞いたのは”マタイ受難曲”(それもこの時初めて全 曲を聴いたのだが)の中のバスのアリアのオブリガートで出て来たときだった。この時の記憶 が実はあまりはっきりしていない。むしろぴんとこなかったと言うほうが正しい言い方だろ う。 古めかしい、特徴... 詳しくはこちら
「倒錯の森」について 1975.10.14 評論・原稿文学 「倒錯の森」について 庄司薫+植草甚一的な文体で一つの小説の書評を書いてみようという実験をしてみました。果 たしてそれが成功しているかどうかは読者の判断に任せたいと思います。 なおこのような事を試みて見ようと思った理由の一つに庄司薫の作品に対するサリンジャーの 影響(ことに「赤頭巾ちゃん気をつけて」に... 詳しくはこちら
小津安二郎に関するrandamな十一章 …「彼岸花」を中心とした… 1975.05.29 評論・原稿映画 小津安二郎に関するrandamな十一章 …「彼岸花」を中心とした… 1. 小津安二郎の映画は儀式(結婚、あるいは死)を起点として展開していく。結婚(あるい は死)が人の一生の中での最大のドラマであるとすれば、彼の映画程ドラマティックな映 画は無いかもしれない。だが実際には人の一生、またその日常生活の中で行わ... 詳しくはこちら