F.フェリーニ『道化師』『オーケストラ・リハーサル』
F.フェリーニ『道化師』『オーケストラ・リハーサル』
1981年6月12日
『道化師』
サーカスの人を引きつける力、あらゆる事柄のモデル。「見世物」とは日常生活の中の典型を観せることなのかもしれない。モデルは身近にある。といっても何を、どのようにしてモデルとしてとり出すか、その方法こそ問題となる。芸術は自分自身の破滅さえもかえりみせない病気なのかもしれない。-まだ症状が軽すぎる-
『オーケストラ・リハーサル』
様々なモデルが、しかしそれ自体も映画が動き出すための口実にしかすぎぬ様に思える。
作品とは全てを口実として動き出す。そして、そのはずみがつけばもう止めることは出来ない。メッセージのみに偏ること、また映画自体の運動感に偏ること、どちらも片手落ちの観方になる。 全体を感じることだ。人間の集団の行動モデル-ある極限的状況にそうぐうした時の-、支配しようとする者のモデルがここにはある。Orchestra という個々が個性的-その集団の中では-でありながらも、集権的な支配に従わざるをえないような個性の集団と、その管理側との関係、そのキ裂の中に、外からの外圧が加わった時に集団内の個はどのような対応をするか、管理者側とは?そのような形態自体がすでに衰弱しているのか。-支配、被支配の関係-